中国シルクロードの旅

シルクロードへの添乗記を通して中国いやシルクロードを語ってまいります。

シルクロードの旅14日間

シルクロードの旅14日間を振り返って

上海での夕食後、添乗員としての仕事、つまり
明日、最終日のスケジュールを団員へ伝え、
この14日間を全員で振り返りました。

最初は全員元気だったのが、日を追う毎に、
食事に来られる人が少なくなっていきました。
なれない中国の油に胃が参ってしまったのです。

私は暴飲暴食を出来るだけ避けたつもりだったのですが、
唯一、ユウコ族のテントを訪れた時の夕食だけパスさせていただきました。

団員の皆さん、本当にごめんなさい!
国道を進んでるつもりが、いつの間にか河床を走っていたり、
突然オアシスへ入ったりとスリル満点の旅行でした。

とうとう最終日の朝に。
上海空港へ早く到着して、チェックインを済ませ、自由解散。
再両替したり、おみやげを買ったりと皆大忙し。
一つ大きな楽しみがありました。関西国際空港が開港したのです。
出発の時は開港していなくて、上海で開港当日の様子をテレビで見ました。

関西国際空港をゆっくり旋回しながら徐徐に降りていきました。
到着しても全員初めてだったので、帰った気がしません。
やっとJRに乗って初めて
ああ、帰ったのだなあ。と感じました。

シルクロード蘭州空港から上海へ

シルクロードの旅
今回は蘭州空港から上海へ

またまた飛行機に乗り込み。今度はまともに飛び立ちました。

ところが機内アナウンスが。隣のスルーガイドに通訳してもらうと
『機体故障の為、飛行場へ引き返します。燃料満タンの為
上空をしばらく旋回します。』

スルーガイドはその時遺書を書いていたそうです。

無事空港へ戻り、次の飛行機が準備されるまで待機。
その間に遅い昼食を。当然全員食欲無し。
三度目の正直で、われわれはやっと上海へ。
やっと上海へ到着し、観光を少ししてホテルに到着。

夕食はホテルのレストランで。
少し予算もあったので、飲み放題にしました。


シルクロード蘭州空港にて

シルクロードの旅
今回は蘭州空港にて

蘭州空港で、やっと上海へ。
ホテルで西洋式朝食を済ませ、いざ空港へ。
空港へ早めにに到着し、しばし休憩。ショッピングなどで
楽しんでいただきました。

われわれの乗る飛行機がなかなか到着しません。
待てども待てども来ないのです。やっと来たと安堵しているのもつかの間。機体故障のためまたまた待たされる。

やっとの思いで飛行機に乗り込む。機内アナウンスがあり
滑走準備。離陸する寸前にエンジンが…
飛行機は止まり、元の場所へ。もう一度点検の為搭乗口へ
戻される。そこから飛行機を見ていると、三方から
自転車で係員が飛行機の下へ。絶句してしまいました。

シルクロード酒泉・嘉峪関から蘭州へ

シルクロードの旅
今回は酒泉・嘉峪関から蘭州へ。

嘉峪関で一番感激したのが、ホテルにキリンビールを売っていた事かな。私が売店にあるキリンビールを買い占めた為、後から買おうとした団員に文句を言われてしまいました。

私の部屋で例のごとく集まった時無料で提供しましたので、許していただきました。

今回の旅で一番西へ来たのかなあ。皆さん例に漏れず日本へ電話を
掛けていましたよ。

翌日予定通りであれば、蘭州まで飛行機で行きます。
「取れていない」
そんな情報があったので、私とスルーガイドのチェンさんで
先に空港へ行き飛行機のチケットなどを確認してやっとチェックイン。

ところが全員の荷物を昔の量りで次々に量ったところ、かなりオーバーし追加料金を請求されました。1個ずつ量れば良かったのですが、4個ずつ量っていったので団員に請求ができず渋々準備金から払いました。

かなり遅れて蘭州へ着いたのが確か夜の8時頃だったと思います。
でも星がきれいで、わざわざバスを止めて見たぐらいでした。
ホテルを朝早く出て、飛行機に乗って上海へ。
と予定ではそうであったのですが、とんだ予約変更。

シルクロード張掖から裕固族の村へ2

シルクロードの旅
今回は張掖から裕固族の村へ2

裕固族の村からお別れの時、私とガイドで手分けして、団員をバスへ連れて行きました。我々も酔ってしまいバスに乗ると二人とも寝入ってしまいました。数時間バスに揺られホテルへ到着。

その間団員の中の二人がしきってくれていました。
私は夕食の時間を団員へ伝え、すぐさま自分の部屋にもどり
ベッドに寝ころびそのまま寝てしまいました。喉がからからで
目が覚め、部屋にあるお茶をすべて飲み干し。それでも
口の中の水分不足は補えません。そんなときドアがノックされ
「大丈夫か?ミネラルウォーター買って来たから飲みなさい。それから夕食の段取りは私がするので」と。

団員の一人の方に助けていただきました。
(本当にそのときはお世話になりました。)
翌朝までそのまま寝てしまいました。朝、目が覚めて朝食会場へ行くのが恥ずかしかったのを今でも鮮明に覚えています。

添乗員としては「失格」ですので、決してまねはしないで下さい。

シルクロード張掖から裕固族の村へ

シルクロードの旅
今回は張掖から裕固族の村へ。

ここで張掖の紹介。
河西回廊四郡の中心地として栄え、現在人口117万人。
最大の見所は大仏寺。西夏時代(900年前)に建てられ、大仏殿には体長34.5mの涅槃大仏を安置しています。
また、元の創始者フビライの生まれた所とも言われています。
張掖の観光をそこそこに、われわれは現地の少数民族とふれ合うべく、バスを南に70km走らせ、途中馬蹄寺石窟を見学後、
本日の目的地、裕固族の村へ。

我々を歓迎する為到着するとすぐ羊の解体が始まりました。
私は気が弱いので、あまり見る気がしないので、テントの中へ
入って行きガイドと打ち合わせ。

歓迎の準備が出来たようなので、団員を呼び寄せました。
セレモニーの始まり、始まり。
歌や踊りがにぎやかな中、白いお酒が回ってきました。
白酒(パイチオ)70度以上もあるお酒。

きついお酒と知らず、団員のほとんどが勧められるままに
飲み干し、私もガイドもいい気で飲み干してしまいました。
これが大失態の始まり。

シルクロード武威から張掖まで

シルクロードの旅
今回は武威から張掖まで。

もう少しで武威に到着と言うとき、スルーガイドから
武威ホテルありませんよ。'と。確認書には(武威ホテル)と書いてありました。

こんな事にもう慣れっこになっていたので、武威に行って確認しようと思い、一番良さそうなホテルへ行き確認。

そのホテルに予約が入っているのが確認でき、胸をなで下ろしました。忘れもしない(天馬賓館)という名前のホテルでした。
夜はホテルのすぐ隣に夜店・バザールがあるので、ほとんどの団員が珍しがって夜店・バザールへ消えて行きました。

我々はというと、私とスルーガイドのチェンさんと二人で串などを
つまみながらまたまたビールを飲んでいました。

今日は、武威から張掖まで。約260km。
4,000m級の山々祁連山脈と万里の長城(明代、漢代の物が見える)を見ながらひたすら張掖までバスを走らせました。

シルクロード

シルクロードの旅
今回は蘭州から武威へ。

午前中蘭州内の観光で博物館などを見学。
ここで甘粛省博物館の注釈。
甘粛省博物館・・・ここの見物は何と言っても、武威の雷台から
発掘された2000年前の「馬踏飛燕(飛燕をしのぐ馬)」の銅奔馬の本物。思ったより小さいが、1本の足で体全部を支える均衡のとれたその姿は、世界の博物館を飛び回り多くの人を魅了した。

漢の武帝が求め、やっとの想いで西域から手に入れた天馬はこんな姿だったのだろう。いま、中国の国家旅遊局のシンボルマークになっている。唐三彩、仏像(甘粛省の天梯山石窟のもの等)、西夏文字の写経、マンモスの標本まで陳列されている。

観光の後、絨毯の店へ立ち寄りました。団員の一人が目を輝かせ
見ているではありませんか。本当に買う勢いで交渉していました。
もちろん筆談ですが、自分の思うような値段にならないのか迷っていると、バス出発の時間になり諦めてしまいました。

蘭州を後に280キロの道を武威へバスを走らせた。

シルクロード蘭州から炳霊寺観光へ

シルクロードの旅
今回は蘭州から炳霊寺観光へ。


蘭州のホテルですがすがしい朝を迎え、気持ちもさわやか。今日はここから百キロほど
離れた炳霊寺へ。黄河沿いのでこぼこ道を相変わらず凄いスピードでひた走り。腰の痛さが限界に来たとき、やっとダム湖へ到着。
実はこれから300人乗りの船で途中まで行き、120人乗りの船に乗り換えて目的地へ。
ここのところ雨が降ってなく、水面が下がっていて大きな船では途中までしか行けない。切り立った山々を見ながらの3時間半の船旅。

ここで、炳霊寺の仏像の紹介
いすに腰掛けた姿の大仏は高さ27メートル。奈良・東大寺の大仏
(15メートル弱)よりはるかに大きい。上半身が石彫、下半身は
泥塑で造られた初唐の作品。風化による破損が見られるが、切れ長の目に唐代の作風を感じさせる。

1時間半くらいで見学をして、足早に船にとんぼ返り。ダムから
同じ道を蘭州へ。引率の先生の案で、(黄河に架かる橋に沈む
夕日を見たい)と。急遽運転手に無理を言って了解を取りました、
もちろん謝礼を渡して。こんな事も(羊皮「やんぴ」:羊の皮で
造った小さな舟)に乗りたい。さすがにこれは実現できなかった。

シルクロード天水から麦積山石窟観光、そして蘭州へ

シルクロードの旅
今回は天水から麦積山石窟観光、そして蘭州へ

天水賓館から約1時間で、麦積山石窟へ。中国三大石窟ではなく、
中国四大石窟の一つ。他は敦煌、雲岡、龍門。
下から階段で上り、外の道手摺りを伝わって歩いていくものですから、団員の一人が手摺りにつかまり震えていたそうです。

私も高所恐怖症なので、助かりました。添乗員として、
下で待機していましたから。
一路ひた走りに一行は甘粛省の州都・蘭州へ。

州都らしく、ビルが建ち並び懐かしささえ覚えてしまいました。
本日のお泊まりは蘭州金城飯店。ここでは、服務員もしっかりしていて荷物の受取もスムーズでした。夜はまたまた団員のほとんどが
添乗員の私の部屋へ集合。夜はながながと。…続く。

シルクロード瀧西から天水へ

シルクロードの旅
今回は瀧西から天水へ

龍西招待所を出て我々一行は、河西回廊を西へ西へ進みます。
秦嶺山脈峠を越え、黄土高原を突っ走り天水へ。

ここで、天水の歴史をひもときます。
天水の歴史は古く、その名前は武帝によって名付けられた。
また中国伝説上の三皇(伏義・女禍・神農)の一人、伏義の故郷としても知られているが、何と言っても麦積山石窟が有名だ。

麦積山石窟は中国三大石窟には入っていない
天水から南に50km、離れたところからでも高さ150m余りの孤峰はすぐに麦積山だと分かる。また名前の通り、麦が積まれたような赤い礫岩の山で、その断崖絶壁に石窟がある。

回廊が繋ぎ、遠くから見るとまるで蜂の巣のようである。
7000体の泥塑像と石像、1300?の壁画が残されているが、
特に塑像が美しい。

 お尻が痛いのを我慢しながら、やっとの思いで天水へ到着。
今夜の泊まりは、天水賓館。ホテルらしいホテル。が、
団員の部屋の電話の音が。ホテルにたむろする女性の勧誘。
団員の一人がその電話を取り、女性とダンスを踊ったり
お酒を飲んだりして楽しく過ごしたとのこと。

シルクロード瀧西の1日

シルクロードの旅
今回は瀧西の1日

本日のお泊まりは、瀧西招待所。まさしく中国のお宿という感じ。
団員のみなさんは、各自で自分の重た〜い荷物を持ってお部屋へ。
みんな慣れたもので、部屋へ入るなり(水が出る、お茶が有る)
などとチェックします。全員無事、と思い自分の部屋へ。

部屋へ入るや否やドアのノックの音。またまたいやな予感。
案の定部屋のクレーム。
行ってみると、シーツに赤いシミが。服務員に交渉するが、
さっぱり伝わらず、とうとうスルーガイドを呼んで何とかその場
をしのいだ。夕食も終わり、またまたガイドのチェンさんの部屋へ
遊びに行き男二人でグラスを交わしていました。

夜も夜、11時をすぎた頃、廊下で、女性の声が。

(添乗員さ〜ん、お湯が出ない)と。私を捜しています。
あきらめていただく為、わざと隠れていました。そのうち
声がしなくなり、静寂を取り戻しました。もう一度乾杯をして
部屋へ戻りました。

シルクロード宝鶏市から瀧西まで

シルクロードの旅
今回は宝鶏市から瀧西まで

ここから旅本番。非常に乾燥していて、やたらと喉が乾き、脱水症状になりかねないので、全員に水筒にお茶をご自身で入れてもらう。

その一方
私は大量のミネラルウォーターを買い付けて出発。
車窓から宝鶏市を観光後、途中2台の車に乗り換えて道なき道を進んだ。国道を西へ西へ進んでいくと、突然道が無くなりほとんど水のない川を大きな石をよけよけ進んでいった。

なかなか前へ進まなくなり、全員車から降りていただき、やっと事で進んだ。歩いていて、ふと上を見ると大きな岩が今にも落ちてきそうな気がして、早歩きになってしまいました。

無事に一般道を走ることができ、全員'ほっと'。少し走って行くと
道路の上に何か並べられています。よくよく聞いてみると車に踏んづけてもらっているのだと。(自動脱穀かな)

車から山々をみていると、ぽつぽつと人影が。かなり離れてたっています。どうやら、山でお仕事の様子。でもどうやって声を掛け合うのだろうと
(携帯電話なんか無いだろう)
耳を澄ましていると人の声がしてきました。
すごく高い声を出して連絡していました。
朝から晩まで車を走らせて、やっとの事で本日の宿へ到着。

シルクロード西安空港から宝鶏市まで

シルクロードの旅
今回は西安空港のレストランから宝鶏市まで

シルクロードレストランをあとに、バスは真っ暗の中、時速80km以上でホテルへ向かった。バスは中古のマイクロバス、揺れる揺れる、バス酔いになりそうなのを寸前で我慢し、やっとの事でホテル到着。

大金を両替して、ホテルでの注意点や朝食の案内を終え、私は自分の部屋へ。ばく睡。

朝食は、洋食バイキング。ほとんどの団員が朝食会場に降りてきました。まだの方々に電話を入れた。と、その一人の方がパニック状態。よくよく聞いてみると、水が出ないので持ってきたミネラルウォーターを使いその場をしのいだとのこと。

水が出ない理由をホテルのマネージャーに聞きその方に説明をして事なきを得ました。朝からほとほと疲れました。

気晴らしに外へ出て、砂埃のする道を見てはじめて'中国へ来たのだな'感じずに入られませんでした。

添乗員の私とスルーガイドと西安のガイドそしてバス運転手と交えて行程の打ち合わせ。

西安市内の大雁塔(三蔵法師ゆかり)、陜西省博物館を
観光後、法門寺(お釈迦様の本物の指骨舎利があることで有名?)へ。
所々で渋滞に巻き込まれ、やっとのことで到着。加油!加油!加油!見学もそこそこにして、昼食場所の確認。

ここから朝昼晩と中国料理は続く。団員のみなさん顔色よく、おいしそうに昼食を食べていました。私が飲み助だったもので、昼から食卓にビールが並びました。ビールでも飲まないとやってられない?昼食の後ホテルへ。

今夜は宝鶏市でのお泊まり。
夕食後そとをぶらぶら。夜遅いせいか、ひっそりとしていたので、
あきらめてホテルの自室へ戻った。帰ったと同時にけたたましいベルの音が。(いやな予感)電話を取るとスルーガイドの声。すぐにやって来た。現地ガイドからいただいたというお酒を持って。
当然夜はだらだら、いやながながと、暮れていきました。

シルクロード上海から西安空港

シルクロードの旅
今回は上海上空から西安の空港レストランまで

目が覚めるともう上海の上空。

上海空港到着。機内からロビーへ異動するとそこに笑顔があった。
そう、今回のスルーのガイドさんの笑顔がそこにあった。
日本語がすごく流暢である。もしかして私より。
ここで軽く打合せをして、団員へこれからの手続きについて説明。
(みんな、おとなしく私の説明を聞いている。今だけかなあ!)

上海空港で人間だけ入国。
入国の仕方がおかしい。団体ビザ(メンバーリストみたいな感じ)に載っている順番通りにパスポートを持って並んでもらいゲートを通り手続き完了。

手続きはすぐに終わった。が外には出してもらえない。仕方なく、出発ゲートでしばし待った。が、待てども待てどもアナウンスがない。

突然アナウンス。

'管制塔のコンピュータの故障で遅れている'やれやれ。ふぅ〜
2,3時間後出発。大幅に遅れた。

西安へ到着。夜の8時だった。チェックインした後にホテルでの夕食を楽しみにしていた。がやむを得ず空港のレストランで食事を取ることに。

しばし解散。荷物の確認を終え、団員を連れてレストランへ。
その名も『シルクロードレストラン(もちろん中国語表記)』

みんなお疲れなので、ビール飲み放題にしてしまいました。
(完全に自分の趣味です)

これが収益を圧迫する羽目に!

ハラハラドキドキ14日間の始まり始まり。

シルクロードツアーの始まり始まり

これは私がある大学のシルクロードツアーを営業で勝ち取り、
自ら添乗員として行ったときのシルクロードツアーの旅行記です。

シルクロードの旅
今回は京都駅から小牧空港まで

京都駅から貸し切りバスで、名古屋空港(小牧)まで。空港ロビーで引率の先生方と待ち合わせ。無事全員集合。行程等を説明した後、全員に搭乗券を手渡し出国手続き完了。

ホッとして外を見るとそこには我々が乗る飛行機がでんっと待ちかまえていました。ん?機体の文字をみると「中国西北航空」と
書いてありました。でもチケット、搭乗券は「東方航空」。

やれやれ

これから先が思いやられると思った瞬間でした。搭乗開始のアナウンス。添乗員としてはすべての団員が乗り終わるまで待合室で待機。

なんだか搭乗口が騒がしい。
まさかツアーの団員さんでは?なんだかいやな
感じがして行ってみると、そのまさか。

機内に空気の缶(だったと思うのですが)を持ち込もうとして係員と大もめ、何とか、荷物扱いにして、西安で受け取る事にして一件落着。そして機内へ。

全員座ったのを確認して自分も席へ。
上海でスルーガイドに無事会えるようにと不安があったのだが、
ホッとしたのかこくりこくりとしてしまった。

敦煌が砂漠の下に埋もれる?

敦煌が砂漠に飲まれ、遺跡が地中に沈む。

敦煌賓館に泊まり、朝から敦煌へ。
午前中一杯敦煌遺跡を見学、昼食を取りにホテルへ。
そして午後からも敦煌遺跡へ。

夕方になると足もがたがた震えだす。

敦煌の遺跡はそれほど巨大な遺跡なのです。
(見学できないところも沢山あります)

地中に沈まないようにして欲しいです。
アレだけの遺跡は・・・



中国へ行くなら中国語を是非お勉強して下さい。
旅行の楽しみが10倍になりますよ。
敦煌は北京語(中国語)が通じますので

【自宅で24時まで本格的な中国語を学べるLiveChina 】
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。